更新がだいぶ途切れてしまったようですが(なんと一年以上!)、あまり気にせず今回も現代美術についての考察を書き綴ろうと思います。
先に紹介した私的に気になっている美術家についてですが、それぞれ表現媒体が違います。パフォーマンス、彫刻、ヴィデオインスタレーションといった具合でしょうか。
テーマは違うものの一般的には現代美術と呼ばれる訳ですが、どうでしょう、「美」なのでしょうか?ヘルマンニッチの作品を鑑賞して果たして美しいといえるのか?あまりに暴力的で見るに耐えないという方もいらっしゃったと思います。単に暴力というのを全面に押し出した妄信者と呼べてもいいような気がします。
ビルヴィオラの作品は、私的な意見ですが時間というものを操ることによってみえてくる人間の感情や生命の尊さ、信仰心をビジュアライズしたもののように感じます。ただ普通にスロー映像を見せられているだけと思う人もいると思います。
純粋に美しいと思えるのは土屋仁応の作品ぐらいかと、形態、色に関してもそうです。それはなぜか、美術史的にも彫刻という分野が広く一般的に美術と認識されてきたからだと思います。じゃあなぜ「現代美術」なのか?
さて、タイトルにもある通り、現代美術とそれ以外のボーダーラインってどこなんでしょう?これらの作家はすべて現代美術家と訳せます、がしかし決して単に美しいものを表現しているとは限りません。
まず一つ目のボーダーライン。
私は第二次世界大戦以降の美術を現代美術として捉えているのですが、この辺りから急速に表現媒体の幅が広がり始めた時代です。これは美術家にとって一つのセンセーションだと思います。
なぜなら自分の手で絵を描くという行為がなくとも、メディアを使って表現が出来るようになったからです。それはどういう意味か。自分の思想、感情、行為を適切かつ明確に表してくれる媒体を得ることが出来たということ、はたまたギャラリー(鑑賞者)を最も最善の方法で自分のテリトリー(表現領域)に引き込ませる媒体を選ぶことが可能になったということです。WEB発信や参加型などという作品も昨今では登場しています。
つまり絵筆に取って代わる表現媒体の裾野が広がったことで、現代美術家というのを誰しもが名乗れてしまうボーダレスな時代が今である。
つづく
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