JR恵比寿駅を降りて長い動く歩道を過ぎたところに東京都写真美術館がある。
本来の目的はONODERA YUKI という写真家の展覧会とヌードのポートレイトに出品されているJOEL-PETER WITKINの写真だったのだが、同時期に開催されていたWORLD PRESS PHOTO 2010-世界報道写真展2010-に足を運んだ瞬間、背筋の凍り付くような衝撃を観た。
例えば、朝ニュース番組でアフガニスタンやイラン、イスラエル、レバノン、シリアなどの中東諸国やアフリカ内戦の情報を耳にする。「あぁ、またテロでも起きたか」そんなつぶやきを心の中で囁きながらコーヒーをすする。身支度を整えて、いつもの電車に揺られながら出勤する。いつもの仲間とともに仕事をして、飯を食い、酒を飲む。 当たり前の日常だが、それを幸せと思ったことがあるだろうか。少なくとも私は意識しない限り微塵も思ったことはない。なぜならそれが自分にとっての”当たり前”だから。
しかしこの写真展の中で写されてきた人たちは違う。生活そのものの中に死が隣り合わせで存在している。朝起きたら誰かが起こすテロに巻き込まれるかもしれない、気がついたら頭の上にミサイルが落ちてくるかもしれない。夜眠りについたらそのまま朝を迎えることなく息絶えているかもしれない。一秒も気が抜けない、そんな極限状態の生活で必死に生きている人たちなのだと気付かされる。
暴動に巻き込まれて頭から血を流す人、自爆テロによって脳の40%を失いながらも生還し母に抱きかかえられる人、首から下を瓦礫の中に埋没させ息絶える少女、いつ来るかわからない死の恐怖から身を守るため銃を構える兵士たち、この写真展は、そういう世界の現実を伝えようと命を掛けて現地へ赴きシャッターを押してきた人たちの展覧会だ。
改めて、この世界の不条理さを感じる。戦争の悲惨さを感じる。その引き金を作ったのが人間だとしたら、その引き金を引いたのもその人間なのだ。そういう身勝手さが人間の一番弱い部分であり醜い姿なのである。
戦争は些細な喧嘩でさえ引き起こされる、だとすればささやかな思いやり一つで平和が引き起こせないものだろうか。そう考える自分が改めて日本人なのだと思わされ、悲しくなる。
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