最近美術鑑賞が足らんな〜と思い、今日は京都市美術館にて院展とパンリアル展を、細身美術館にて神坂雪佳を鑑賞してきました。ちなみに院展以外はタダで入れました、ラッキー。
パンリアル展は言葉にするのも憚れるくらい××××でした。のでここで話すことはありません。
問題なのは院展、理事長平山郁夫を筆頭に現代日本画の最高峰な人達のすんばらしく有り難い絵が観れると、一般的にはそう言われるわけだが我々美術活動をする人間は見方が180度違う。なぜならそういう人達はなぜか人の絵を観ると批評したがるからである。
ってことで私もついつい批評してしまっていた訳であり、そして毎年思うことなのだが(日本画に関してのみかもしれないが)昨今の日展・院展ではテクニックばかりが先行し、作品の根底にある描き手の感じたモノや伝えたい意思を隠し鑑賞者に伝わりにくくなっているのではないかと思うのである。それはつまり作家の自己完結に繋がるのではないかと危惧している。
自分の作品は自分にしか産み出せない自分語ではあるが、それを他人に伝えるためには鑑賞者が理解できる標準語に翻訳しなければならない。
作品はどこまでも自己中心的になってよいものだが、独りよがりになってしまっていてはその存在価値に?がついてしまうのでないかと思うのである。観るひとがいなけりゃ美術もへったくれもないってことですよ。
ま、それが難しいんですけどね。
神坂雪佳についてはまた次回ということで。
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