卒業制作のテーマだ。
思えば2年間、ヒトをモチーフに作品を作り続けて来た。
最初のは戸惑いながらも、描く対象のオモシロいところだけを凝縮させたシルエットが、まるで反復運動を繰り返すかのような一つの大きな塊だった。
その次は実験的に染めを抜く行為で塊を象った、見事に失敗。
続く2作品も不完全燃焼のまま、自分の表現力のキャパシティの狭さに落ち込む。
5つ目の作品で何かが見えた気がした。
それがなんなのかは自分でも理解しがたいものだった。それを教授は「良い破綻だ」と揶揄した。
自分が励まされているとも知らず、少しばかり大きな草稿紙の前で揶揄されたことに、口をへの字に曲げたことは今ではものすごく恥ずかしい。
6つ目はおとなしくなり過ぎた。いつもより多くの人の目にさらされることに怖じ気づいてたのかもしれない。完全に煮詰まった作品、諄さを通り越して味気なくなってしまった。それでも「良い」といってくれたドイツ気取りの教授と染織案内人。
7つ目は完全に誤算だった、というより自分の中にある傲慢な心がもたらした当たり前の結論だった。今、自分の立ち位置がスタート地点ですらないことを思い知らされた。
たった7点の作品が教えてくれたことは、一つとして間違いではなかったことに気付いた。
そして卒業制作、自分の追い求めていたカタチがようやく見え始めた。それはヒトをシルエットで紡ぐものではなく、ヒトという命のカタチそのものだったということ。それが描き出したかった答えであり、自分のスタート地点だったのだと。
完成してから今の今まで、手直しする期間はいくらでもあったのに手を出せなかった。出すとそれは自分の表現したいことに嘘をつくことになるかもしれないと思ったから。
封を解かれるのは30日、京都市美術館で。今の自分の始まりを是非ご高覧頂きたい。
そしてスタート地点から走り出さんとする私が創り出す生命のカタチを、たくさんの方々に観てもらいたいと思います。
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